ろじをの生き方さんぽ

精神疾患から蘇ったので元気をおすそ分け

人の「生」と「死」を分けるもの 【夜と霧】

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フランクルの書いた「夜と霧」を少し読んだ。

彼は精神科医でユダヤ人。

ナチスによる迫害を受け、収容所に収監される。

 

この本は彼が収容所で目の当たりにした人間の姿が記されている。

 

 

1.極限状態での人間の精神の変化

人間というのはいざとなると想像以上の適応能力を発揮する。

フランクルたちは寒い冬に寝具がなくても風邪をひかず、糞尿や汚物に汚れた場所でも平気で眠ることができたという。

 

なかでも注目すべきは精神の変化であった。

多くの人が何を見ても、何に触れても何も感じない

「無感動」「無感覚」「無関心」状態になったというのだ。

 

収容所でのあまりにも悲惨で受け入れがたい状況を生き抜いていくため、いちいち驚かない、嘆かない、悲しまないという防衛策を人々は身につけていった。

 

フランクル自身も例外ではなかったようだ。

食事の時間になり、彼はスープを必死に食べていた。

ふと窓の外に目をやると、死体が運ばれていくのが見えた。

その死体は彼が二時間前に話しをしていた仲間であった。

それでも彼は平然とスープを飲み続けた。

 

この反応に、フランクル自身驚いている。

もし自分が精神科医でなく、そうした状態への強い関心がなかったら、自分がそんな無感覚になっているということすら気づかず終わっただろうと言っている。

これが、強制収容所の現実なのである。

 

2.「未来に希望を持つこと」が生きる力になる

 

あまりに悲惨な強制収容所の状況に絶望し、高電圧の鉄条網に飛び込み、自ら命を断つ人がいた。

その一方でなんとかしのいで生きて帰ってこられた人もいた。

 

人々の「生」と「死」を分けたものはなんだったのだろう。

その一つに「未来に対して希望を持っていたかどうか」であったとフランクは言う。

 

そのことを表す2つのエピソードがある。

有名な作曲家兼脚本家がフランクルにそっと打ち明けました。

彼は1945年2月のある夜に、きたる3月30日に戦争が終わり、自分たちも解放される夢を見たというのです。それ以来、彼にとって3月30日が希望の光となりました。

が、その日が近づいても戦況が好転する様子はありません。どうやら「正夢でなかったらしい」という気配が濃厚になってきました。すると、彼は3月29日に突然高熱を発して発疹チフスを発病し、翌日ひどいせん妄状態に陥って意識を失いました。彼にとって苦悩が終わるはずだった3月30日の翌日に彼は亡くなりました。 

 

 

1944年の12月、クリスマスから新年にかけての期間に、収容所内にそれまでなかった数の死者が出ました。

理由は過酷な労働でも、飢餓でも、伝染病でもありません。

「クリスマスには休暇が出て家に帰ることができる」という素朴な思い込みが数か月前から被収容者たちを期待させ、その期待が見事に裏切られたときに、多くの死者が出たのです。

クリスマスに何も起きなかったことで、多くの被収容者は落胆し、力尽きて倒れていったのです。

 

 

「未来への希望を持つ」ということが、いかに人々の精神的支えになっているか、そのことをよく表しているエピソードである。

 

フランクルはというと、大きな希望を持っていた。

収容所に収監される前に書きかけていた著作の原稿があったのだが、その原稿は収監される際に奪われてしまった。

しかし彼は収容所で原稿を復元していた。

 自分の出す本は苦難と闘っている人々の役に立つ、そのために何としても本を仕上げなければいけないという使命感を持って書き続けていたのだ。

 

強制収容所という同じ状況下にあっても、ある人は死に向かい、ある人は生に向かった。

自分の未来に希望を抱くことができるか否か、そこに、人々を生と死に分けるものがあった。

 

3.まとめ

 

日本は今間違いなく平和であるはずだが自殺者が多い。

これは「生きていてもしょーがない、意味がない」という、未来へ希望が持てていない人が多いからなのではないか。

 

20代の頃の僕は、うつに悩まされ、生きている意味を考えては途方に暮れていた。

今は「ストレスケアカウンセラーとなり、日本人のストレス軽減に貢献したい」という目標を持って生きている。

 

うつから回復したのも、目標を持てたことが大きいな要因であった。

 

目標をもつことは確実に人をイキイキとさせる。

毎日が色づいていく。