ろじをの生き方さんぽ

精神疾患から蘇ったので元気をおすそ分け

握り飯の近道

 

最近自分の直感を信じて生きようと思った。

それを実現するために、携帯からSNSのアプリを削除し、SNSから距離を置いて生活している。

この生活を始めてまだ1週間ほどしか経っていないがすでに素晴らしい効果を感じている。

 

まず時間が確保できる。

本を読める時間が格段に増えた。

 

次に自分の考え、価値観というものの輪郭がはっきりと浮かび上がってきた。

SNSの世界に浸かって10年ほどになる。

いかに僕たちは他人の価値観をまとって生きているのかを感じた。

毎日誰かの情報に触れていると、無意識的に他人との比較をしたり、自分が良いと思っている価値観が実は他人のものだったりする。

 

僕の場合本が好きでよく本屋に行くのだが、本を選ぶとき、ネットでおすすめ本ランキングを必ず検索していた。

自分の直感で本を選ぶことが格段に減っていた。

 

この時の僕の気持ちとしては、つまらない本を買って時間を無駄にしたくないというものがあった。

 

また一時期、生活の質を上げようと、無駄を省いて人生の効率を上げる、ライフハック系の内容の動画をYouTubeで観ていた。

 

その無駄を省こうと行動していた結果感じたのは

つまらない。

楽しめていなかった。

 

ランキングで1位だと紹介されていた本も、なんだか無理矢理読んでその結果疲れた。

途中から義務的に読んでいた。

「1位なのにこれを楽しめない自分の感性はオカシイのでは」という思いを抱えてページをめくっていた。

 

無駄を省くライフハック的な内容を取り上げているYouTube内の動画も観なくなった。

 

無駄を恐れることはもったいない。

その結論に至るまでのプロセスが自分の人生なのだ。

だから自分が良いなと感じたことは無駄に思えてもやったほうがいい。

 

「握り飯の近道」という話しを紹介しよう。

何事によらず近道を好む男がいた。

あるとき、この男は一人旅をしている途中で便意を催した。時はまだ11時過ぎ、「今一息で次の宿屋まで行けるのに困ったものだ。大便に時間をとられると相当の時間を損することになる。歩きながら用を足す方法はないか」とあれこれ近道を考えた。

 

ますます便意を催してきた男は仕方なく道端の野雪隠(のぜっちん)へ走りこんだ。用を足しながら道が遅くなることを案じた男は「そうだ。時分は昼前、次の宿場で昼飯を食うとなると二重三重の休息になる。いっそこうしているうちに弁当を食ってしまえば、一挙両得というもの、しごくよい近道じゃ」と、首から弁当を下ろして食べ始めた。

 

そこへスズメバチが飛んできて、急所をちくりと刺したので、手に乗せていた皮包み飯が、ころりと野壺の中に落ちていった。

男はしばらく惜しそうに下を見ていたものの、やがて横手をうち「ははあ、これはよほどの近道じゃ」と言った。

口の中で噛み、喉元を過ぎて胃腸を通り、下へおろすものを口には入れず、手のひらから直接野壺へ落したのは、近道に違いない。

しかし、喉を通さぬと実にはならない。

 

これは近道を愛する男が大便中に飯も済ませてしまおうとした結果、弁当も近道し、男の胃腸を通ることなくまっすぐ野壺へ落ち、「これめっちゃ近道じゃん」とテンション上がってしまった男の笑い話である。

 

しかしこれでは腹もふくれず栄養も摂取できない。

 

僕の20代は周りから見るとものすごい回り道だったと思う。

(うつになちゃったしね)

 

しかし海外への一人旅や貴重な人との出会いなど、あの時間があったからできたことも多かった。

 

仕事や学習には効率化が必要となる場面もあるだろうが、生き方における回り道は大いにおすすめしたい。

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