ろじをの生き方さんぽ

精神疾患から蘇ったので元気をおすそ分け

三年寝太郎から芥川龍之介のラブレター 

三年寝太郎の話しを読んでいて、少し気になった。

 

『三年寝太郎』

ある村に怠け者の男がいた。その男、飯は人の倍食うくせにあとは寝てばかり。村の人間は その男を「寝太郎」と呼んだ。

 

ある年、村はひどい干ばつに襲われ、畑や田んぼは干上がってしまった。

そんな状況の中でも寝太郎は食っちゃ寝の生活を続けていた。

ついに、村の長者はお触れを出す。

「この日照りと干ばつをどうにかしてくれる者がおれば、わしの娘を嫁にやろう」

 

 

ここです。

 

結末からいえば、このあと寝太郎は起きだして、村へ水を引いて娘をもらって幸せに暮らしたとさ、となる。

 

しかし娘の身になればたまったもんじゃない。

 

「たしかに日照り干ばつをどうにかしてくれるのは助かる。

だけど、それであたしの恋路を決められてしまうなんて。。。」

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正直いうと、この三年寝太郎の話しを引用して別の教訓の文章を書こうと思っていたけど、娘の気持ちが気になりだして今に至る。

 

昔は女性の人権が軽んじられていた。

日本の女性が自由に結婚できるようになったのは戦後の話しで、それまでは自分の意志で結婚も離婚もできなかった。

 

そんな時代の中で生まれた、僕の好きなラブレターがある。

 

あの芥川龍之介が書いたラブレターだ。

一応、全文載せておく。

文ちゃん。

僕は、まだこの海岸で、本を読んだり原稿を書いたりして 暮らしてゐます。
何時頃 うちへかへるか それはまだ はっきりわかりません。
が、うちへ帰ってからは 文ちゃんに かう云う手紙を書く機会が
なくなると思ひますから 奮発して 一つ長いのを書きます 


ひるまは 仕事をしたり泳いだりしてゐるので、忘れてゐますが
夕方や夜は 東京がこひしくなります。
さうして 早く又 あのあかりの多い にぎやかな通りを歩きたいと思ひます。


しかし、東京がこひしくなると云ふのは、
東京の町がこひしくなるばかりではありません。
東京にゐる人もこひしくなるのです。
さう云う時に 僕は時々 文ちゃんの事を思ひ出します。

 

文ちゃんを貰ひたいと云ふ事を、僕が兄さんに話してから 何年になるでせう。
(こんな事を 文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか知りません)

貰ひたい理由は たった一つあるきりです。
さうして その理由は僕は 文ちゃんが好きだと云ふ事です。


勿論昔から 好きでした。今でも 好きです。その外に何も理由はありません。
僕は 世間の人のやうに結婚と云ふ事と 
いろいろな生活上の便宜と云ふ事とを一つにして考へる事の出来ない人間です。
ですから これだけの理由で 兄さんに 文ちゃんを頂けるなら頂きたいと云ひました。
さうして それは頂くとも頂かないとも 
文ちゃんの考へ一つで きまらなければならないと云ひました。

 

僕は 今でも 兄さんに話した時の通りな心もちでゐます。
世間では 僕の考へ方を 何と笑つてもかまひません。
世間の人間は いい加減な見合ひと いい加減な身元しらべとで 
造作なく結婚してゐます。僕には それが出来ません。
その出来ない点で 世間より僕の方が 余程高等だとうぬぼれてゐます。

 

兎に角 僕が文ちゃんを貰ふか貰はないかと云ふ事は
全く文ちゃん次第で きまる事なのです。
僕から云へば 勿論 承知して頂きたいのには違ひありません。
しかし 一分一厘でも 文ちゃんの考へを 無理に 脅かすやうな事があっては 
文ちゃん自身にも 文ちゃんのお母さまやお兄さんにも 僕がすまない事になります。
ですから 文ちゃんは 完く自由に 自分でどっちともきめなければいけません。
万一 後悔するやうな事があっては 大へんです。

 

僕のやってゐる商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。
その上 僕自身も 碌に金はありません。
ですから 生活の程度から云へば 何時までたっても知れたものです。
それから 僕は からだも あたまもあまり上等に出来上がってゐません。
(あたまの方は それでも まだ少しは自信があります。)
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。それでよければ来て下さい。
僕には 文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。


繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。

 

この手紙は 人に見せても見せなくても 文ちゃんの自由です。
一の宮は もう秋らしくなりました。
木槿の葉がしぼみかかったり 弘法麦の穂がこげ茶色になったりしてゐるのを見ると
心細い気がします。


僕がここにゐる間に 書く暇と書く気とがあったら もう一度手紙を書いて下さい。
「暇と気とがあったら」です。書かなくってもかまひません。
が 書いて頂ければ 尚 うれしいだらうと思ひます。

 

これでやめます 皆さまによろしく

芥川龍之介

 

あの文豪も恋人の前ではただの男だったようで親近感を持つ。

なにより恋人の文さんの気持ちを尊重しているのが嬉しい。

 

「僕は文ちゃんが好きです。それでよければきてください」

 

この一文は素敵過ぎやしないか。

恋愛での結婚が難しい時代にこのストレートな表現にはマイッタ。

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 (文さん以上に俺が落とされている感あり)

 

 

 

今僕らの生きてる時代は自由なはずだ。

でも自由に生きられない人間が大勢いる。

 

周りなんて関係なく好きなものには好きと言えているか。

 

シンプルなところに自由に生きるヒントが眠っているように思う。